私が開院した理由

突然の父の死…

わたしが29歳の時、父がガンで亡くなりました。
父の死という現実に直面した時、私の心は強く揺れました。

自分の夢や行いたい事と外れた人生で本当にいいのだろうか?

突然、訪れるかもしれない人生の終わり。

その時に悔いのない人生だったと本当に笑顔で言えるのだろうか?

そう考えた時に心が動きました!「いいはずがない!」と。

それが、それまでなんとなくサラリーマンをしていたわたしが
カイロプラクティックを志すことになるきっかけとなりました。

 

子供のころの夢は宇宙飛行士やパイロット

男の子なら誰もが一度は憧れそうな夢をわたしも抱いていました。

子供のころの私は、とにかく未開の地や、
見知らぬ世界への好奇心がいっぱい。

冒険、未知の世界、特に宇宙の話しや映画は大好きでした。

「インディジョーンズ」や「ネバーエンディングストーリー」
「スターウォーズ」などの映画はまさに憧れの世界 (笑)

一緒に未知の世界を冒険したくてたまりませんでした♪

 

「三つ子の魂百まで」

小さい頃、好きだったもの興味あったものというのは
大きくなっても案外変わらないものです。

中学、高校と進学してもときめくことは子供のころのままやっぱり同じ。

そんな宇宙や未開の地への想いのままに1991年理数系の工学院大学に進学。

入学時には企業からの引く手あまたと言われた就職状況も
卒業時には、バブル景気が完全にはじけ、就職氷河期に突入。

少ない求人数に苦労しながらも、なんとか憧れてた航空宇宙関係にも
携わる技術商社にセールスエンジニアとして就職します。

 

とりあえずの就職活動

しかし、就職当時の私は今考えると本当に何も考えていない子供です。

具体的な仕事や社会の勉強はまったくの皆無。
本当に何も分かっていませんでした。

会社を選んだのも、とりあえず働かないと生活が困るから。

同じ働くのであれば、少しでも自分の好きなことに
関連してた方がいいだろうと。

幼いころからの夢や憧れだけを頼りに会社案内で「宇宙」「航空」
などの単語が少しでも書いてある会社を受けていただけです。

どんな仕事なのか?
どんな業務なのか?
その職種はどんなことをするのか?

など、具体的なことは何も分かっていませんでした。

 

こころの葛藤が少しづつ…

当然、現実は、私の思い描いていた夢とは
まったく異なる社会生活のスタートとなります。

当時、実際に配属されたのは、建築土木関連機器や溶接機器の営業。
または、自動車部品メーカーなどへの工場設備機器の営業です。

北から南まで走り回るドップリの営業生活。

就職した当時、わたしが思い描いていた仕事のイメージは
新たな世界・未知なる世界への冒険につながる飛行機やロケットの開発。

さらに言えば、自分も一緒に冒険に飛び立てること☆

理想のロケットなどを実現するための部品を精査し集めたり、
足らない部分は自ら設計開発して補うことを考えていたのです。

実際の仕事内容と違いすぎでしたね。恥ずかしい限りです(笑)

仮に、この会社の航空宇宙関連分野で働けたとしても、
それは会社の極一部の小さな事業。

ロケットにも関連するほんとに小さい一技術を販売してるだけの事でした。

わたしが想い描いていたようなロケットや飛行機の
全体像が見えるようなものではなかったのです。

とりあえず生活するために稼げればどこでもいいや。

と、何も考えずに軽い気持ちで就職したはずだったのですが、
なんだか結構ショックでした。

そんな恥ずかしいこと誰にも言えないし余計だったのかも知れません。

それでも、夢や憧れだけでは生活はできない。

社会人というのはみんな多かれ少なかれ、そんなギャップを抱えつつも
生きていくためにがんばり生計を成り立たせているのだろう。

それが普通であり大人なのだろうと、自分に言い聞かせがんばりました。

 

人生ってこんなものかな

がんばり続けていると、営業の仕事もおもしろいと
感じることも不思議と増えてきます。

すると、どこかにギャップを感じながらも、営業の仕事も軌道に
乗り始め、社会人としての生活も少しづつ安定してきました。

結婚して家族にも恵まれました。

なんだかんだで、このままここで働き続けるのかな~。
人生ってこんなものかな~。などと思いだしてた頃でした。

「父の死」というショックな事件が起きたのです。

 

わたしが本当にしたいことは?

父は、ちょうど第二の人生を夢見描き始めた時に他界しました。

突然の不幸により、夢を追いかける、
見ることさえ出来なくなる日が急に来ることもあるのです。

自分はどうだろう?

突然、訪れるかもしれない人生の終わり。

その時に悔いのない人生だったと本当に笑顔で言えるのだろうか?
自分の夢や行いたい事と外れた人生で本当にいいのだろうか?
そもそも、わたしの本当にしたい事、夢ってなんだろう?

わたしの原点は、幼き頃から未知の世界、未開の地、
宇宙への好奇心、冒険です。この気持ちが原動力でした。

でも、そんな自分の想い、夢に向かって現時点から具体的に
どうすればいいのかとなるとさっぱり見当もつきません。

そんな自問自答する日々で心のモヤモヤは増していきました。

 

父からの贈り物

わたしは、父が亡くなった時に何が本当に私の心を
揺さぶったのだろうともう一度考えなおしてみました。

父の死に直面した際の自分の心と素直に向き合い
そのまんまに感じてみたのです。

ある時、ふと気づきました。

「夢を見る、夢を追う」という事は生きていなくては出来ないということを。
健康でなければ追いかけることさえ出来なくなることもあるということを。

わたしは夢を追いかけられる間は、全力で希望に
向かって走り続け、たとえ、もし私の夢が
半ばで終わったとしても、後悔なく笑顔で終える人生にしたい。

わたしが、もし実現出来なかったとしても、
そこまでしてきたことには胸を張り誇れるような人生にしたい。

そう想える生き方をしたい。

もっと言えば、

わたしの夢は半ばで終えたとしても、その追いかけてた情熱が、
他の皆さまが夢を実現するためのパワーになるように生きたい。

そんな強い情熱をもった生き方をして、わたしの周りの夢見る
皆さんまで元気づけ勇気づけることが出来る生き方をしたい。

みんなが夢の実現に向け生き生きとしてる世界になって欲しい。
私はもちろん、家族、そして友人、支えてくれてる皆さんが
夢を追いかけ続けられる。そんな社会にしていきたい。

そして父に対しても

わたしは父が夢を実現するための時間をもう少し
応援したかったのだということに気づきました。

その為には、まず心身共に健康であり続けることです!

であれば、「その健康をサポートすることをしたい!」

そう思った時、脳裏に、父がおばあちゃんの肩を揉んでる様子。
おばあちゃんが嬉しそうにしていた様子。

そして父が「昔、パパは整体をしていた事もあるんだ♪」
と言っていたことが想い浮かんできたのです。

それが、カイロプラクティックと出会うきっかけでした。

 

カイロプラクティック哲学に惹かれて

薬や注射を使わずに人間の本来もっている自然治癒力を引き出し
健康をサポートすることができる体に優しい自然な療法。

そしてその自然治癒力というのは宇宙が存在している
エネルギーそのものであるとも考えられること。

人間は胎児になるまでの細胞分裂を繰り返す過程で、
単細胞動物から魚類も含め地球で育まれたすべての
生き物の進化を経て生まれてくると言う説があります。

個人の発生が人類の発生を繰り返す、
個体が系統の発生を繰り返す。

そんな考え方です。

人には、人類の歴史、地球のすべての生命の歴史、生命を育んだ
地球自身の歴史、そして地球を育んだ宇宙の歴史そのものが
ギュッとつまっているとも考えられるのです。

大ヒット映画「アバター」でも似たような表現がされていました。

森の大木の根が神経ネットワークのように惑星全てに
広がっておりそこにアクセスすると惑星の歴史というか
全ての生命エネルギーの情報と繋がることが出来るというものでした。

人間を小宇宙と表現したりすることがあります。

まさに、人が生きていくエネルギーというのは、
宇宙そのものとも言えるのです。

このようなカイロプラクティックの哲学的な部分に触れ、
私の理解が広がっていったときに

「これだ!」

他にも整体や鍼灸整骨など各種手技療法もありましたが
カイロプラクティックに夢中になったのです。

私が子供のころより憧れてた未知なる宇宙というのが、
未知なる人の研究にもあったのですから!

カイロプラクティックを追究することで
健康のサポートをし夢に向かう人の応援ができる。
しかも、私自身も夢に向けてワクワクしながら☆

 

大変だけど、夢中で駆け抜けた日々…

ここからは、ガムシャラにがんばるだけでした。

家族を養うために今までの仕事も続け、
夜はカイロプラクティックの学校。

休みの日や空いた時間さえあれば、
みっちり治療院に入り実践の場での勉強。

2年間の学校生活は、今までに経験した受験や大学生活以上に
夢中で勉強し、仕事との両立で、もの凄く中身の濃い時間でした。

アメリカでの解剖実習で人体の中を初めて見たときの衝撃。

頭蓋骨の中から出てきた脳。
その衝撃は今も忘れません。

寝る時間も少ないような生活でしたが、
私自身は、夢に向けて好きなことをしていたので、
辛いというよりは、楽しくて夢中で駆け抜けていました。

その後、良き師匠や先輩方との出会いもあり、皆さま方からの
あたたかい指導やフォローのお陰で、なんとかカイロプラクター
として所沢の地で院を構えるまでになりました。

夢をかなえる健康サポートのスタートです。

 

これからも変わらぬ想いで

現在この地で10年を超えています。

自分の夢・理想を目指して、学校卒業後も
たくさんの卒後セミナー、勉強会にも参加してきました。

勉強を続けていると色々なことがわかってきます。
また、新たにわからないこともどんどん出てきます。

様々なテクニックも知り、提供する技術が変わることもあります。

そんな中で、ようやくですが自分の変わることのない基本となる
自分の治療哲学・スタイル、目指す健康の形というものが
少しづつですが見えてきたような気がしています。

これも、ここまで支えて頂いた、町の皆さま・諸先輩、
先生方・仲間、友人・そして本当に心配や
苦労をかけてきた家族のお陰です。

本当にありがとうございました。

これからも、皆さまとの御縁に感謝し
みんなが夢に向かい続けられる世界を目指して
カイロプラクティックと出会ったころといつまでも
変わらぬ想いで健康をサポートしていきます。

たくさんの人が夢をかなえ、
笑顔でいっぱいの社会になると嬉しいです。

もちろん私自身も、小宇宙(人体)だけでなく、
実際に大宇宙にはばたける日を夢見て頑張ります♪

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